バーブイルの記憶に捧ぐ

翻訳ブログです。さあ,われわれは下りて行って,そこで彼らの言葉を乱し,互いに言葉が通じないようにしよう。(創世記11:7)

ギリシャ―ローマ世界における Ioudaios の意味と機能

http://www.uni-koeln.de/phil-fak/ifa/zpe/downloads/1997/116pdf/116249.pdf

碑文

 *1*2ユダヤ人に関係する数百の碑文が,ギリシャ―ローマ世界から生き残った。そのうち,紀元後 2 世紀後半かそれ以降のものと目される,約 40 の墓碑の中に,IoudaiosIoudaia という言葉が現れる。または,ラテン語へのその転写である IudeusIudaea *3が現れる。これら Iudaios/Ioudaia, Iudeus/Iudaea の意味と機能が,近年,多くの討論で俎上に乗った。
 トムソンによると*4Ioudaios は単にユダヤJew を意味する。「主に非ユダヤ的環境」の中で,ユダヤ人が,「非ユダヤ的視点」に立ち,彼ら自身を見る時にのみユダヤ人が Ioudaios を使った,とトムソンは主張し,次のように結論づける。「内側の」名前である Israel に対して,Ioudaios は,常に「外側のアイデンティティ」として機能した。
 ユダヤ人に関係する碑文の研究に存する両義性についての,クレメールの有力な論文が二つある。その一つ目で*5,クレメールが,Ioudaios について,全く異なる見解を示す。「ギリシャ語とラテン語で書かれた,ユダヤ人に関する碑文の中で,Ioudaios の出現を観察すると,それらが,ただ一つの変わらない訳語を保つ以上に,共時義*6を持つことに気づく」*7。必ずしもユダヤ人ではない人の,ユダヤ的起源さえも強調するような,地理的表示*8に加えて,それとは別の機能が Ioudaios にあるとクレメールは言う。クレメールが言うには,IoudaiosIoudaia は,ユダヤ教に改宗した異教徒だ。さらに他のケースでは,男性形と女性系の単数形*9が,固有名詞を表すらしく,もしそうなら,ユダヤ教が異教徒を惹きつけた遠い形跡になろう*10。クレメールの斬新さは,IoudaiosIoudaiaSambathion のような名前として使われたかもしれない,という論点にある*11
 チェリコヴェールによると,ユダヤ教エジプト人の多くが,彼らの息子に,Sambathion という名を与えたユダヤ人の習慣,とくに安息日 sabbath への憧れからか,もしくは愛着からだ*12
 この小論の初めの部分で,トムソンとクレメールの双方の視点に,異議が唱えられるだろう。Ioudaios が,トムソンの言うような「外側のアイデンティティ」としてだけ機能しはしないことを,Ioudaios の出現の物理的文脈に関する綿密な調査が示す。また,Ioudaios が,クレメールの提案ほど,多くの意味を持たないことや,クレメールが提案するものと全く同じように機能しはしないことを,残存する碑文への固有名詞学的・言語学的・年代学的分析を通じて,我々は知る。
 最初に,次のことが主張されるだろう。すなわち,Ioudaios が固有名詞であるような,全ての,しかし少数の,ごく早期の碑文で,Ioudaios が,そのビザンチンの後継者である Hebraios のように,単にユダヤJew を意味すること。二番目に,次のことが示されるだろう。すなわち,Ioudaios文脈が,ユダヤ的なものか,主として非ユダヤ的なものかによって,また,もし後者なら,その碑文が示す年代が,ヘレニズム時代か,ローマ時代かによって*13によって,Ioudaios の機能がはっきりと異なること。最後に,この分析の中で確立された原則を,いくつかのテキストの――確実ではないが,ほとんど確実な――年代と出所,それから,彼らの尤もらしい解釈に,我々は適用しよう。
 この研究のために,Ioudaios が現れる全ての碑文――synagoge ton Ioudaion *14のように,Ioudaioi が公式の自治体の名称の一部であるようなものは別として――が収集され,再翻訳された。それらは,機能と出典によって補遺の中に分類された (Appendix 1)。この小論自体への参照が,1 から 43 までの番号を振られ,この補遺に載っている。一つの特異な碑文,テルメッソスから出土したアウレリア・アルテミス・ユーデア "Ioudea" (原文ママ) の墓碑 (TAM III 448) が,Appendix 2 で詳細に論じられる。

コメント

 1. これは,小論の一部であり,全文ではない。
 2. 大幅に意訳した。
 3. いくつかの長い文章を分割して組み替えた。
 4. 「ユダヤ」の語源を調べるうちに,この小論へ辿り着いた。

*1:【原注】英国国立オープン・ユニバーシティ教養学部にて,1996 年 10 月 25 日に開かれたセミナーで,この小論が初めて発表された。それらの発表と,彼らの有益なコメントに,それから,ケンブリッジ大学セント・ジョーンズ・カレッジの J. A. クルーク教授がのちに全文を読んだことに,私は感謝したい。述べられた見解は私自身のものである。
この小論を通して,以下の略字が使われる。
HN = W. Horbury and D. Noy, Jewish Inscripsions of Graeco-Roman Egypt, Cambridge 1992;
Le Bohec = Y. Le Bohec, Inscriptions Juives et Judaisantes de l'Afrique Romaine, Antiquités Africaines 17, 1981, 165-207;
Noy I/Noy II = D. Noy, Jewish Inscriptions of Western Europe I/II, Cambridge 1993 and 1995.

*2:【訳注】ケルン大学の 2 人の古典学者 Reinhold Merkelbach と Ludwig Koenen によって創立された雑誌 Zeitschrift für Papyrologie und Epigraphik (ZPE) に,この小論が収められている。

*3:【原注】この小論では,これら全ての変化形の総称として Ioudaios が使われることが多い。

*4:【原注】P. J. Tomson, The Names Israel and Jew in Ancient Judaism and in the New Testament, Bijdragen, Tijdschrift voor filosofie en theologie 47, 1986, 120-40 and 266-289.

*5:【原注】Roos S. Kraemer, On the meaning of the term 'Jew' in Graeco-Roman Inscriptions, HTR 82, 1989, 35-53. FOllowed, inter al., by T. Rajak in: The Jews among Pagans and Christians, ed. J. Lieu, J. North and T. Rajak, London 1992, 21. Kraemer's second article is: Jewish Tuna and Christian Fish: Identifying Religious Affiliation in Epigraphic Sources, HTR 84, 1991, 141-162.

*6:【訳注】Connotation.「例えば英語の rose という語は記号表現として〈ばら〉という記号内容と対応し、ふつうこのレベルでその意味作用を行っている。しかし、ある種の用いられ方ではこの語は〈愛〉を表わして使われているように受け取れることがある。このような場合、〈ばら〉の意味もまだ生きているのであるから、いわば二つの異なるレベルで意味作用が二重に起こっているわけである。」「この二つの異なるレベルでの意味作用を説明するのに、『表示義(デノテーション)』と『共時義(コノテーション)』という区別をすることがある。」(『記号論への招待』池上嘉彦,pp. 120-121)

*7:【原注】Kraemer, 1989, 35.

*8:【訳注】トマソンの説を指していると思われる。

*9:【訳注】Ioudaios と Ioudaia のこと。

*10:【原注】Kraemer, 1989, 35-36.

*11:【原注】Kraemer, 1989, 49.

*12:【原注】CPJ III Section XIII.

*13:【訳注】「ヘレニズム時代」は,アレキサンダー大王の死(紀元前 323 年)から,ローマ帝国の出現を示すアクティウムの海戦(紀元前 31 年)までを言う。「ローマ時代」は,おそらく,アクティウムの海戦から,ローマ帝国の分裂を示すテオドシウスの死(紀元後 395 年)までを言う。

*14:【原注】コリントスヘブライ人のシナゴーグのために,特に TAM IV I. 376 (Nikomedeia in Bithynia), DF 100 = CJZC 72 (Berenice in Cyrenaica) and the Bulletin of Judaeo-Greek Studies 13, 1993, 27 (Phanagoria in the Bosporan kingdom). Cf. CIJ II 718 を見よ。