バーブイルの記憶に捧ぐ

翻訳ブログです。さあ,われわれは下りて行って,そこで彼らの言葉を乱し,互いに言葉が通じないようにしよう。(創世記11:7)

「ギリシャ」の語源

http://etymonline.com/index.php?term=Greek

Greek(名詞)

 古英語でGrecas。初期のゲルマン語派の複数形もGrecas,これはラテン語でヘレス人を意味するGraeciの借用語。さらにその語源はGrakoiにある。アリストテレスが『気象論』第1巻第14章でヘレス人をGraikhosと書き表したのがその始まり。もともとはイリュリア人がエペイロスに住むドーリア人,エペイロスの原住民に対して使っていた名前のGraiiからとったもの。

 ただし,ドイツの古代史研究家Georg Busolt(ゲオルグ・ブゾルト,1850-1920)が提唱した現代の学説は,Graikhosを「グライア(ボイオーティアの沿岸にある都市)*1の住民(直訳すると「灰色」)」という意味に取る。Graikhosは,紀元前9世紀にクーマエ(ラテン人が初めてギリシャ人と出会ったことでもっとも重要なイタリア南部の都市)の創建に貢献したグライアからの入植ギリシャ人を,ギリシャ人の全体と勘違いしたローマ人が呼ぶようになった名前。つまりこの説によれば,この名前はローマ人によって一般化され,ギリシャ人に逆輸入されたのだ。

 ゲルマン諸語は,おそらくそれが当時ラテン語のgに最も近い音だったために,初めkの発音を語頭に置いて‘Grecas’を借用したが(古高ドイツ語のChrech,ゴート語のKreks),やがて改められた。

 「なんという巡りあわせだろう,神が著作家になろうとして,ギリシャ語を学んだことは。そして,それほど良く学ばなかったことは!」*2ニーチェ『善悪の彼岸』)

 この言葉が「ギリシャ語」を意味し始めたのは14世紀後半から。「理解不能な話しぶり」はおよそ1600年から*3。そしてギリシャ文字同好会のメンバーを意味するスラングになったのは1900年から。


コメント

 ふとあるツイートを見て,「ギリシャ」と「ギリシア」のどちらが「古い」のか気になり,調べ始めました。
 


 結局,ラテン語のグラエキアGraeciaから「ギリシア」のほうがより「古い」ことが分かりました。だけれども,古代ギリシャ人が自分たちを呼んでいたより「古い」名前である「ヘラス人」は有名なので,そこから「グラエキア」に変わった経緯をも知りたくなってきました。そしてアリストテレスの使いはじめたGraikhosにも,もともとエペイロス原住民を指していたという説と,もともと入植グライア人を指していたという説があることを知りました。グライア人はボイオーティア沿岸ではなくアペニン半島に入植していたというソースも発見しました。
 日本人の口に合うのか,イスパニアからの輸入だったからなのか,日本で使われ始めたのは「ギリシャ」のほうが先で,一般的に受け入れられているのもこちらのようです。ただし格調高い文脈では「ギリシア」のほうが好まれるようです。おそらくギリシャ研究が進むにつれ,語源に対する規範意識が生まれた結果でしょう。そうだとすれば,「ギリシャ」がネイティブ=方言で,「ギリシア」が容認発音Received Pronunciationであるのもあながち間違いとは言えません。そして,現代ギリシャ語の「エラダ」「エラス」で発音する人はあまりいないようです。
 ……ちなみに,GreeceではなくGreekの項目を訳した理由は,こちらのほうが情報が多かったからです。

*1:Wikipedia「現在のオロポス (Oropos) 周辺にあったと推定される都市グライア (Graea) (Γραῖα)は、ギリシアで最も古い都市であると伝えられており、地名も「古い」「古代」という意味がある。」

*2:箴言の章にある言葉。意味がよく分からない。「神はギリシャ語を創り賜ったが,他の言葉に正しく受け継がれることはなかった」というほどの意味か。原文„Es ist eine Feinheit, daß Gott griechisch lernte, als er Schriftsteller werden wollte, und ebenso dies, daß er es nicht besser lernte!“手元にあった竹山道夫訳「げに意味深いかな――。神が著作家たらんとしたとき、まずはギリシア語を学び、しかも平人以上によくは学ばなかった。」

*3:シェイクスピアジュリアス・シーザー』の一節“it was Greek to me,”を指していると思われる。